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主人公モデルは寂聴さん、「不倫・恋愛もの」超越する並外れた関係描く…映画「あちらにいる鬼」廣木隆一監督 - 読売新聞オンライン

 道ならぬ恋をした作家の女と作家の男、そして、その男の妻。映画「あちらにいる鬼」(11月11日、東京・新宿ピカデリーほか全国ロードショー)は、3人の男女の並外れた関係を描いた作品だ。瀬戸内寂聴と井上光晴夫妻をモデルにした3人を演じるのは、寺島しのぶと豊川悦司、広末涼子。監督の 廣木(ひろき)隆一(りゅういち) は「不倫ものとか、恋愛ものって感じでもないんですよ」と言う。では、何か。この映画で廣木が描きたかったものについて、聞いてみた。(編集委員 恩田泰子) ※敬称略

 原作は、井上夫妻の長女、井上荒野の同名小説で、脚本は荒井晴彦。寺島演じる主人公・長内みはる(のちに寂光)のモデルは寂聴、豊川と広末が演じる白木篤郎と笙子が井上夫妻だ。寂聴は、原作刊行時に〈作者の父 井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった〉という書き出しのコメントを寄せている。

 1966年、みはると篤郎は、互いの才能にひかれ合い、それぞれにパートナーがありながら男女の仲となる。奔放でうそつきな篤郎にのめり込む、みはる。すべてを承知しながらも篤郎の妻であり続ける、笙子。3人は、作家同士の尊敬、男と女の情愛、女と女の不思議な連帯感でつながれていく。そして73年、みはるは出家を決意する。

 寺島の出世作「ヴァイブレータ」(2003年)は、廣木監督、荒井脚本。この座組で映画を撮るのは、「やわらかい生活」(06年)以来だった。「寺島の事務所の人と話していて、何本か、寺島とやりたいねっていうものがあって、これが一番いいんじゃないかって」と廣木は振り返る。ほかにも候補はあったが、「ただの男女関係、シンプルな恋人同士とか、そういうことじゃなくて、もうちょっと『強い』感じの女性のほうがいいんじゃないかと思った。寺島は、強さと弱さを併せ持つ女性像をちゃんとやれる女優さんなんで」。観客の多くが寺島に期待しているのも、おそらく、平板な「普通の役」ではない。「これは絶対『寂光さん』でしょうと」

 モデルの寂聴は、2021年に99歳で亡くなるまでずっと、多くの人をひきつけた存在。ただ、映画にする上で意識したのは、「あのかわいらしさと明るさぐらい」。寺島には、「寂聴さんは寂聴さん。ヒントをもらうだけで引っ張られないようにねって話はした」という。「誰が見ても寂聴さんだって思っちゃいますけど、でも、やっぱり、(この映画で描いたのは)寂光だし、篤郎だし、笙子」

 廣木自身は、原作を読んで、「作家、小説家のあり方のところは、やっぱり一番面白かった」という。実は笙子もその作家の世界の輪の中にいる。篤郎の原稿の清書に加えて、夫名義の短編のいくつかをひとりで書いていた、ということもある。

 「『職業の人たち』な感じがしたんですよ。そこにはもちろん、ちゃんと恋愛感情があったんだろうけれど、自分たちが傷ついたりしたことも、小説に昇華していく。一回、自分のところを通して、そこに作品が生まれる。自分が経験したことを、さも第三者が経験したみたいに書いていく。そのために自分を全部犠牲にしている人たちの話のような気がしたんですよ」。井上光晴をめぐっては、原一男監督による「全身小説家」というドキュメンタリーが作られているが、「なるほどね、(全身小説家って)そういうことか、と」とも言う。「不倫もの、恋愛もの」という枠だけではくくれないものに、この映画では手を伸ばした。

 豊川とは「時代劇だよね」という話もしていたという。小説家という存在に注がれるまなざしは、時代とともにうつろって、本作で描いていることは「今だったら許されない」からだ。そんな中、あえて、この3人の世界を描いたのは、「なんかね、窮屈な世の中だよな、と思うような感じだったかもしれない。選んだその時にね」

 廣木は、いろんな映画を撮り続けている。「余命1ヶ月の花嫁」などの間口の広い感動作をヒットさせる一方で、エッジの利いた作品で高い評価を集める。今年は既に、コロナ禍の影響で公開が遅れていた傑作「夕方のおともだち」、サスペンス「ノイズ」が公開されていて、さらに本作に、湊かなえ原作による母と娘のドラマ「母性」(11月23日公開)、佐藤正午原作の愛と 輪廻(りんね) の物語「月の満ち欠け」(12月2日公開)が封切りとなる。

 物語にしっくりあったセット、色調、音楽。本人はたんたんとしているが、さりげない風情でいろんなことをやっている。本作の室内シーンのセットや、「月の満ち欠け」で作り上げた1980年代の高田馬場駅前のオープンセットなども、すごい。「『みんな撮れないやつ撮ろうぜ』って言うとやれます」と笑う。

 多種多様なフィルモグラフィーの中では、「ヴァイブレータ」をはじめ、女性も思わず共振してしまう機微に富んだ女性像をたくさん描いてきた。「(女性について)『よくわかりますね』っていうことをよく言われます。でも、俺が全部知ってるわけじゃない。女性が書いた小説をわりかしやってるんで、それを読んで、『この登場人物はそういう考え方をするんだ』っていうふうに思って撮ってる。それと、役者さんに『今の気持ち、どんな気持ち?』って(引き出すと)いうのと両方」だと言う。「あとは最近は、その『人』はそういう考え方ということで、男だから、女だからということは関係ないな、と思ってますけどね。まあ、この『鬼』は関係ありますけどね」

 窮屈な世の中にふっと映画で空気を入れる。「日本映画は20代前半ぐらい(が主人公)の映画が多いじゃないですか。でも本当に魅力的な人たちって50代、60代、70代以上まで結構いますもんね。だから、そういう人たちの映画って何かもっと見たいなって、単純に思っています」とも話していた。

 ◇ 廣木隆一  1954年生まれ。福島県出身。1982年、「性虐!女を暴く」で映画監督デビュー。2003年の「ヴァイブレータ」では、第25回ヨコハマ映画祭を始め、国内外40以上の映画祭で監督賞ほか数々の賞を獲得した。そのほかの主な作品に「余命1ヶ月の花嫁」「軽蔑」「RIVER」「きいろいゾウ」「ストロボ・エッジ」「さよなら歌舞伎町」「夏美のホタル」「PとJK」「彼女の人生は間違いじゃない」「ここは退屈迎えに来て」「夕方のおともだち」など。2022年の東京国際映画祭では、「あちらにいる鬼」「母性」「月の満ち欠け」の3作のワールド・プレミアが行われた。

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