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4歳上の義父・東尾修から結婚の挨拶で「おまえか!」と…石田純一(69)が語る、3人の子育てと家族との意外な関係 - au Webポータル

〈収入は10分の1〉スポーツクラブ出禁、妻からは「信じられない」と…石田純一(69)が振り返る、コロナ騒動とバッシング〉から続く

「不倫は文化」騒動や2016年の都知事選出馬表明、緊急事態宣言下での沖縄ゴルフなどで話題をさらってきた俳優の石田純一。

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 今年で69歳になる彼に、3人の子供がいる家庭の様子、東尾理子との結婚、息子・いしだ壱成との関係などについて、話を聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)

◆◆◆

子供3人の送り迎えを担当

ーーお子さんは、長男が10歳、長女が7歳、次女が5歳とのことですが、育児はガッツリと?

石田純一(以下、石田) 僕が仕事で地方に出かけていない限りは、送り迎えはほとんど僕の担当になっています。そもそも、子供たちが放っておいてくれないんですよ。船橋の焼肉屋から家に帰ってくるのが夜中の1時でしょ。そこから寝ても、6時には子供たちが起きてきて「起きろ~!」って、僕の上にドーンって乗っかってきますから。寝てなんかいられやしない(笑)。

石田純一さん

ーー石田さん1人で、子供3人の送り迎えを。

石田 長男は送っていくだけですけど、長女は車がダメな学校に通っているので、往復40分掛けて送り迎えしています。学校までの距離は遠いけど、長女との距離は近くなりました(笑)。手を繋いで話をしながら学校まで向かうんですけど、「ねえ、パパってママの奴隷なの?」とか聞かれたりしてね。

「そう見える?」「だって、絶対ママの言うこと聞くじゃない」「そうだね。ママの言うことは大体合ってるからね。でも、全部じゃないよ」「ママが間違ってる時もあるよね」なんてやりとりが面白いし、いろいろと参考になるんですよ。

 一番下の次女は、ママチャリで送り迎えしてます。住んでるところが、けっこう坂道が多いんですけど、ママチャリが電動なんで大変でもないですね。

結婚の挨拶に伺い、義父・東尾修さんからの第一声は…

ーー義父の東尾修さんは73歳で、石田さんの4歳上になります。同世代と言っていいですが、お子さんたちはそのあたりはどのように。

石田 さすがに、祖父と祖父みたいには見てないですよ。ちゃんと、父親と祖父として見てます。

ーー理子さんと結婚した際は、義父が4歳上であることが気になりませんでしたか。結婚の挨拶に伺って、戸惑いや気まずさは?

石田 いやいや(笑)。挨拶もしないで、先にテレビとかで付き合っているなんて報道されたほうがマズいですから。ちゃんと理子にセッティングしてもらって、そういう席を設けてもらって、東尾さんにご挨拶させていただきました。むしろ、僕のほうから理子に「早くセッティングして」とお願いしてたくらいですから。

 でも、東尾さんの第一声が「おまえか!」でした(笑)。

ーー否定的な感じの「おまえか!」ですか。

石田 もちろん(笑)。でも、東尾さんは少し前から「おかしいな」とは思ってたみたいです。理子が東尾家のものじゃない車を運転するのを見て、「なんだ、この車は?」とか尋ねてたらしくて。理子は「うん。ちょっと友達に借りた」なんて答えて。まぁ、それは僕の車なんですけど。

年を取ってから子供を持つのも悪いことではない

ーーそれでも「おまえか! ダメだ」なんて、面と向かって反対はできないですよね。

石田 まあ、そうですよね。あのとき、理子は34歳か35歳で。アメリカのツアーに出ていたけど、ちょっとスランプになってたんですよね。そういうときに知り合って、ゴルフ以外の話で盛り上がって、距離が縮まったんです。

ーー2009年に理子さんと結婚されて、58歳だった2012年に長男の理汰郎さんが誕生しました。58歳で親になると、考え方や感覚が若返るものですか。

石田 それはあるかもしれないですね。とりあえず、気は張ってますよね。当たり前だけど、最終的には僕もヨボヨボになっちゃうんで。そうなる前に、子供たちに教えられることはとことん教えておいてあげなきゃって。

 いま69歳ですけど、教えられることの深さはまあまああると思うんです。自分でも、若かった頃と比べると雲泥の差なので。ただ、子供たちは僕の話をちゃんと聞こうとしてないけど。特に理汰郎は、聞かなくて(笑)。

 仕事のことや体力的なことを考えれば、自分の年齢で父親になるのってどうなのと考えることもあります。でも、年齢がいっている状態で子供をもうけたことで、その子に“年の功”的なもの、自分が重ねてきた経験や遺伝子に記憶があるのだとしたら、それらが受け継がれることになるのかなって。そう考えたら、年を取ってから子供を持つのも悪いことではないなと。

息子・いしだ壱成さんには申し訳なさが一番強かった

ーー理汰郎さんたち、いしだ壱成さん、すみれさんが一堂に会することも多いようですね。みなさんで誕生日や七五三を祝っている写真を、よくブログで公開されています。

石田 理子が繋いでくれるんです。「誰の誕生日だからどこどこに集まろう」って、2週間くらい前から店を予約したり、壱成なんかに連絡してくれます。億劫がるわけじゃないんですけど、僕がやろうとするとギリギリになっちゃうんで。

 でも、ここ最近は以前ほど会ってないですけどね。

ーーご家庭があったり。

石田 前から、それぞれ家庭はあったんでね。それよりもすみれが子供を産んで、まだ小さいから大変だったりしますから。ちょっと、前とは違う流れになってきましたね。

 でも、壱成とはちょくちょく会いますね。いろんな相談をされますし。船橋の焼肉屋にも、4回か5回か来てくれて。

ーー壱成さんが2歳の頃に離婚して、16歳のときに再会されたそうですね。14年ぶりに壱成さんの顔を見たときは、どんな思いが?

石田 「申し訳ない」って気持ちが強かったですね。僕は壱成のお母さんにフラれたんですけど、そこでいろいろキチッとやっておかなきゃいけないことをやってなかった。それもあったし、いじめられていたことがあったともチラッと聞きましたし。とにかく「こういう境遇にしてしまってごめんね」 という申し訳なさが一番でした。

「この子は危険よ!」とメリー喜多川さんに言われたことも

ーー壱成さんが俳優になったのは、石田さんの強い勧めがあったからだと聞いています。

石田 会った時に「申し訳ない」って気持ちが押し寄せたのと同時に、「なんてキラキラしているんだ」とも感じたんですよ。「これは、すぐに役者をやらせたほうがいい」って。あのときの壱成は、なんともキラキラしていたんですよ。

ーーでも、壱成さん自身はミュージシャンを目指していたとか。

石田 そうなんです。そう聞いて、再会した後に小杉理宇造さんが社長をやってたスマイルカンパニーに壱成を、すこしの間だけ預けたんですよ。そこで、小杉さんの息子さんの小杉周水君、和田誠さんの息子さんの和田唱さん、壱成の3人で練習してましたよ。

 その頃、メリー(喜多川)さんが壱成を見掛けて「この子は危険よ!」って言ったらしいんですよ。ジャニーズ(当時)にとって脅威になるって。理宇造さんが「友達の息子なんです」と説明したら「誰?」「石田純一です」「エーッ! じゃあ、勝手になさい」みたいになったらしいです。

自分が20年かかったことを1年足らずで成し遂げてしまう息子

ーーそれほどのオーラを放っていたと。

石田 なにかを持ってるんですね。実際、デビューしてすぐにバババッといきましたから。『ひとつ屋根の下』(フジテレビ・1993年)に出て、それから少しで『未成年』(TBS・1995年)と『聖者の行進』(TBS・1998年)の主演でしょ。

 僕なんか、壱成にアドバイスなんて一個ぐらいしか言ってないですから。「声はデカくて通るのがいいのが当たり前だけど、小さい声でずーっと向こうのほうまで通るような声も練習してみな」とだけ教えて。「ふーん、そういうもんなんだ」とか答えてましたけどね。

 あともうひとつ、デビューする前ですが、現場を見せたんです。僕が主演した映画『愛と平成の色男』(1989年)の銀座の夜間ロケで、日が出る朝の5時までやってるのを見て「大変なんだね、この仕事って」なんて言ってましたね。

ーーたしかに『未成年』の壱成さんは、神がかっていました。

石田 拍手、拍手でしたよ。『未成年』はTBSで、僕も同じ頃にTBS『きのうの敵は今日も敵』(1995年)で主演をやってたんですよ。どちらもTBSだから緑山スタジオでの収録になるんだけど、緑山っていくつかスタジオがあって。あっちのスタジオで壱成、こっちのスタジオで僕で、どちらも主演でしょう。すごいことだし、僕が20年ぐらいかかったところを、壱成は2年ちょっとでやってのけてしまったんだなって。

 あの頃、テレビを見ていたら「今週、すごいことがあった人」と聞かれたらキムタクが手を挙げて、「俺、いしだ壱成と遊んだんですよ」と話して、まわりが「うわぁ、すごい」なんて湧いてるんですよ。そんなのを偶然見たんだけど、僕はキムタクもすごいと思ってたから「壱成、たいしたもんだな」って驚きましたけどね。

 でも、1年やそこらでそうなってしまったからこそ、罠もいろいろ出てくるんですけどね。

最近は「ロバート・デュバルになれ」と助言

ーー壱成さんも、なにかと注目を浴びる方ですよね。

石田 いろいろとね。いまはギリギリ食っていけてるみたいですけど、そもそも考えが甘いっちゃ甘いところもあるから。そこらへんが心配ですけど、いい意味で役者バカなんで、そこでやっていけるとは思うし、やっていってほしいです。

 ただ、年齢もアレだし、メンテナンスも悪いから。

ーートルコで植毛して話題になっていました。

石田 最近は「ロバート・デュバルになれ」って、ずっと言ってるんです。デュバルなんて若い頃から髪がなかったけど、渋くていい役者でしょう。「髪の毛とかなくなっても大丈夫だから。関係ないんだから」と言ってますよ。

 まぁ、ほんとはロバート・デュバルじゃなくて、ロバート・デ・ニーロになってくれたほうがありがたいんだけど。

男性からは「どうやったらモテるんですか?」とよく聞かれる

ーー石田さんは、「この人みたいになりたい」といった俳優はいたのですか。

石田 森雅之。高峰秀子さんとやった、成瀬巳喜男の『浮雲』(1955年)とか抜群でしたね。もちろん、黒澤明の『羅生門』(1950年)も凄かったし。あと、溝口健二の『雨月物語』(1953年)。あれの森雅之も良かった。

 まぁ、目指すところはそこでしたけど、あの人が滲ませていた陰みたいなものを、僕は人生で背負ってないですから。森雅之って、作家の有島武郎の息子でしょ。知性のDNAはハンパない上に有島武郎は愛人と心中してますから。そういう陰は僕にはないですよ。

ーー陰と言われるとそうかもしれないですね。石田さんは『愛と平成の色男』というタイトルの映画に主演しているくらいですから。お話をうかがっていて、令和の時代でもモテそうなパッとした雰囲気を漂わせているといいますか。常に“モテ”は意識していますか?

石田 してないです。でも、男性からは「どうやったらモテるんですか?」って、よく聞かれますね。早稲田大学でモテの講義をやったことがありますし。

写真=志水隆/文藝春秋

「亡くなった? 嘘でしょって」元妻・松原千明の死去、姉の孤独死…家族を亡くした石田純一(69)が明かす、今も消えない後悔〉へ続く

(平田 裕介)

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